« ファンタジーサッカー2016 第32節レビュー | Main | ファンタジーサッカー2016 第33節 »

October 26, 2016

4月は君の嘘

T_co_sigatuhaki_001_00010_2l1

4月は君の嘘/新川直司
月刊少年マガジンコミックス
 
またもやKindleの無料お試し版にやられてしまった。まぁ、いつかは買うことにはなっただろう作品なのでいいきっかけだったと思う。コミックス→アニメ→実写版映画という流れでマルチメディアミックス展開中。原作既読でも実写版の評価が二分していて興味深い。広瀬すずのズラの違和感が…とかレビューされてしまうと百年の恋も覚めてしまうので映画は見ないでおこうと思う。(ネタバレ)
 
原作を読んで改めて立体化したくなる気持ちがわかる。これはピアニストとヴァイオリニストの話なんだから当たり前と言えば当たり前なのだが、やはり、音を出したくなるのだ。クラシックの知識に乏しい自分には、読んでいても作中で演奏される楽曲は全く頭の中で流れてこない。楽曲の持つテーマ性に、登場人物たちの心象が乗ることによってこの作品は立体的になっていく(聞いて読むとおそらく違って見えると思うので今度やってみようと思う)。登場人物たちが、「演奏家は音で語り合うもの」と言う通り、主人公たちの言の葉は漫画という技法の中で、コマ割を中心とした「間」によって組み立てられていく。ト書き以上にこの「間」が音の響きに代わるものとして機能しており、そして、読み手側のイマジネーションに寄りかかってくるのだ。音を実際に出すということは、そのイマジネーションを担保する行為であり、またそれは逆に送り手側のリスクにもなる。音を出すのであれば、説明したら(音で語れないのであれば)負けなのだ(もし映画でそれをやっていたら、そこで評価できなくなるだろう。この作品は「演奏で気持ちを届ける」ことが重要なポイントになっているからだ)。逆説的ながら、コミックスだからこそ登場人物たちの悩みや葛藤がより深く表現できているのだと思う。『寄生獣』でも同じようなことを感じたが、時間が読み手側の解釈を深くし、イマジネーションが広がっていく余白を作り出している。このメディアの違いをしっかり咀嚼して他メディアに展開しないと、必ず失敗するだろう(アニメ版は演奏がごまかせるので破たんが少ない)。
 
恋愛要素は椿周りにあるが、作品のカテゴリー自体はスポ根に近いと思う。スランプに陥った若き天才ピアニストが、師匠やライバルたちからの叱咤激励によって死んだ母親の呪縛から抜け出しアーティストとして再生する物語だ。ある意味ストーリーは王道といっていい。古臭いかもしれない。でも、それがいいのだ。宮園かをりの最後の手紙に涙する向きもあるが、個人的には有馬公生が母親を真に理解し立ち直るところに一番共感する。トラウマを克服し、人として成長していく様はやはり感動的である。だから、その視点で見るとこの結末はやはり残酷で、かをりちゃんは水先案内人というより生贄ともいえる存在であり、恋愛物語と呼ぶにはいささか抵抗がある。実際彼女らは有馬公生という才能に恋している(武志も含めて)のであって、明快な恋愛感情は介在していない。しかし、最後の最後、公生がかをりをかけがえのない人として意識することで、単なる好いた腫れたの恋愛ごっこではない、人と人との深い結びつき=愛情の最終形を見ることができる。それがせめてもの救いだ。思えば本作中には様々な愛情が描かれている。親子、兄弟、子弟、幼馴染。人と人との関係によって育まれた心が楽器を通じて奏でられる。カラフルな演奏は、その演奏者の心の豊かさでもある。多感な季節に、思い思われ救い救われ、人はさまざまな経験をして強くなっていく。そんな当たり前のメッセージがこの作品の中心にあるのだ。

|

« ファンタジーサッカー2016 第32節レビュー | Main | ファンタジーサッカー2016 第33節 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/77466/64395021

Listed below are links to weblogs that reference 4月は君の嘘:

« ファンタジーサッカー2016 第32節レビュー | Main | ファンタジーサッカー2016 第33節 »