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September 24, 2016

怒り

役者カタログみたいな映画だった。3つの話がパラレルに走りながら収斂していく構造だが、決してわかりにくいことはない。ただ、ストーリーそのものは3つともあまり起伏がなく、どこが本線なのかが不明な分、冒頭の事件の回収がほとんどできておらず、その意味で消化不良感が強く残ってしまった。(ネタバレ)

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怒りという感情の本質は、自分(直接的にも間接的にも)に対する不条理な仕打ちへの心理的抵抗・対抗だろう。たとえ相手からの攻撃が正論、合理的なモノであっても、それによって自分が傷つくのであれば、怒りの念は沸々と湧き上がってくる。しかし、怒りの矛先は何も他人にばかり向けられるわけでもない。自分の不甲斐なさに自分自身に対して怒ることだってある。実際、作品の中には様々な怒りが込められている。そして、怒りの最高到達点が破壊衝動に繋がることも描かれている。では、この映画(怒りの感情)を通じて残されるものは何かというと、人を信じることが大切だという教訓めいたものになってしまっているように思える。このタイトルと主題のずれにやや戸惑いを感じるのだ。
 
描かれている3つのドラマはいずれも殺伐として重苦しい。槙家のエピソードのみ救いがあるように見えるが、家路につく愛子(宮崎あおい)の表情はその後の家族の破たんを予感させる。むしろ、やり場のない怒りを海に向かってひたすら掃き出し続ける泉(広瀬すず)にすがすがしさを覚える(泉は米兵にレイプされ、その事実を自分の胸に抱え込んだまま生きていく)。「田中」(森山未來)は、誰の心の中にも生まれる可能性がある怒りのメタファーだ。しかし、ドラマに対してメタファーとして使いきれていないのがなんとももどかしいし、そもそも「田中」の怒りの源泉の紐解きが薄すぎる。話を3つに割ってしまった分、そこにフォーカスが当たらなくなり、全体的にぼやけてしまったのだろう。槙家の話も藤田(妻夫木聡)と大西(綾野剛)のエピソードも、アイツが殺人事件の犯人なのではという疑いから自らの不幸を招いたわけで、そこに‘怒り’は介在していない。タイトルに対する違和感はこんなところにもありそうだ。
 
物語はさておき、俳優陣は豪華絢爛かつ渾身の演技が繰り広げられている。ゲイのエリートサラリーマンを演じた妻夫木は綾野との絡みを惜しげもなく見せている。女性とくにBL好きには堪らないだろう。また、宮崎あおいはすっぴんでちょっと頭の弱い槙愛子に全力投球。さらには、米兵にレイプされるというショッキングかつ難しい役どころを広瀬すずがこれまた体当たりで演じている。渡辺謙やピエール瀧といった大御所たちも影が薄くなるほどの熱演に引き込まれること請け合いだ。主役級の俳優がこれだけ投入されているにもかかわらず、それぞれがしっかり輝いて見えるのは、ストーリーが分散したこの映画の構造によるところが大きい。皮肉なものだが、二兎追いながら確実に一兎は仕留めたのだから良しとせねばなるまい。

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