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July 05, 2015

セッション

洋題は『WHIPLASH』。劇中で登場するスタジオ・バンドが演奏した曲のタイトルである。前評判は高く、教師のシゴキがどうこうとただの音楽映画でないことはわかっていたが、実際蓋を開けてみれば至極まっとうな青春映画だった。どんな世界にでもある話をジャズというモチーフで描いていると捉えることはできる。だが、やはりジャズじゃないとだめなのだ。(ネタバレ)

Whiplashその必然性の一つは、いみじくも劇中でフレッチャー(J・K・シモンズ)自身が語っているジャズそのものの存在感の希薄化だろう。本作はジャズのプレゼンスを高めたいという作者の思いの表れなのだ。そして、もう一つは映画としての見せ場を作るために長尺のソロがほしかったということではないか。ジャズバンドをクラシックのオーケストラと置き換えることは可能だが、ラストのドラムソロはジャズでしか描けない(クラシックのオーケストラ曲で長尺のソロパートがある作品はあるのかしらん)。ロックだとバンドの編成が貧弱だし、音楽の性格としてあまり教えられるものではないということもある。また作品中よく譜面が出てくる。しかも結構重要な役割を担わされている。ロックに譜面は似合わない。

さて、そのジャズドラマーとして立身出世を夢見る主人公・アンドリュー(マイルズ・テラー)だが、まずその頼りなさ感が良い。シャープな感じがないところが一層シゴキ甲斐がある雰囲気を醸し出している。いじめに耐え厳しい練習に耐える半泣き顔は演技とは思えないほど真に迫っている。また、シゴク側のフレッチャー先生もこれまたいかにもシゴク人という人相振る舞いで、軍隊式の罵声を浴びせる指導は迫力満点だ。見ているこっちまで怒られている気分になってくる。映画は正味この二人の対峙で2時間過ぎていくのである。しかしまったく飽きないし、どんどん2人の関係にはまり込んでいくのだ。

ほぼハラスメントの指導に耐え必死についていこうとするアンドリューの姿は悲しくもありどこか滑稽でもある。世の中のことがよく分かっていない青春期に一途に突っ走ることはありうるだろう。そして、そういう青春を過ごしてこなかった自分の人生を振り返りちょっと残念に思ったりもするのだ。理不尽なしごきに耐えれば必ず夢が叶うと信じてしまう若さ。夢の達成のために邪魔になるのであれば、せっかく手に入れた彼女も躊躇なく切り捨ててしまう視野狭窄加減。本人はいたって真面目なのだから、見ているこちらは笑うしかない。フレッチャー先生も一流人の割に、クビにされたことを根に持ってアンドリューに報復したりして子供じみているし、全編人間の弱さ、ほろ苦さが詰まっていていちいちチクチクするのである(退学して我に返って別れた彼女とよりを戻そうと電話するところなんか実にしみったれていて女々しくてよい)。

‘good job(上出来だ)’がジャズをダメにするという考えから、フレッチャーはこれ以上ない最高の出来を導き出すための指導をしてきた。その手法がハラスメント的である必要はどこにもないが、彼の目指す思想には共感できる。一種の宗教的な教義に感化され、アンドリューもそこを目指し、最終的に2人が同じ高みで意思疎通するラストには思わずニンマリしてしまう。結局アンドリューもフレッチャーも音楽バカなのだ。そして、そのバカさ加減にふと見ている自分の‘真面目さ=つまらなさ’に気づかされる。エンドロールが上がる中、やってやったというカタルシスとともに、ちょっとだけいたたまれなくなるのだった。

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