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May 19, 2015

寄生獣 完結編

一応けじめのために鑑賞。全体の印象として、複雑なテーマを映像で一気に見せるにはちょっと難度が高すぎたと思った。とにかく深津絵里のおかげでこの作品は救われている。(ネタバレ)

Photo_2前編と同様尺の問題で原作の部分部分がカットされ設定が変更になっている。市役所突入と「田宮良子」(深津絵里)の‘自殺’が同時進行で描かれ、「後藤」(浅野忠信)の追撃の合間で村野(橋本愛)との合体があったり、詰め込みつつ帳尻を合わせるために微調整を施す苦労が至る所に見られて、みていてちょっと気忙しかった。「三木」(ピエール瀧)のやくざ事務所襲撃や市庁舎の惨劇もさらっと流してしまう感じで物足りない。それでも、原作の流れを最大限尊重した作り方は好感が持てる。だからこそなのだけれど、物語全体を通してみると、この作品の最も重要なテーマとは何だったのか、いまいちぼけてしまっているように思えた。人間こそがこの地球に寄生し資源を搾取し続けている寄生獣であるという主張(広川=北村一輝の演説はなかなか迫力があってよろしい)が中核にあるならば、それは完結篇の中盤にピークを迎えてしまう。パラサイトがひ弱な存在であり、あまりいじめるなという「田宮」の台詞が「後藤」の最期に被さるのだが、それによって人間という‘種’の傲慢さが伝わるかというと、あまりにセンチメンタルで前面に出てこない。これは紙と映像という表現手法からくるものなのだろうか。深く読み込む時間が映画では許されていないからなのかもしれない。

そして肝心の最後のシークエンス。残念ながら新井浩文くんには浦上は荷が重かった。実際映像化されてほぼ原作通りに描かれたエピローグなのだが、なぜかとても蛇足感に満ちていた。なぜなんだろうと鑑賞後も考えるのだが、そもそも原作としても蛇足だったのだろうか。どうしてもそうは思えない。やはり浦上の非人間性が演出も含めて上手く表現できなかったためなのではないか。彼との対比において新一(染谷将太)が人として(ミギー=阿部サダヲと決別して)新たな一歩を踏み出すことを象徴するシーンなのだから、一方の化け物さ加減が中途半端ではいけないのだ。

役者の部分で評すれば、主役もヒロインもちょっとグダグダで、見た目膨れた感じがしていて緊張感が希薄なのが問題である。浅野忠信はクールに演じてはいるが怖さに欠ける。ピエール瀧は勿体ない。北村一輝は結構頑張っていた。そして、深津絵里。「田村」が子供をあやし笑うシーンは背筋がぞくっとするほど秀逸である。パラサイトとしての‘彼女’が様々な実験を通じて人間のような感情を獲得するそのプロセスは、(「後藤」との最終決戦以上に)この作品の最大のハイライトといってもいいかもしれない。とにもかくにも難しい作品だ。それをどう表現するかはさらに難しい。原作を読まずにどこまで理解し、どこまでテーマ性を感じることができるか、未読鑑賞者に聞いてみたいものである。

【付記】本編が始まる前のこれからの作品の予告(邦画でコミック原作だからかもしれないが)を見ていて思ったのだけれど、紹介される作品の大概は小説やコミックスの原作があり、それを映像化したものだ。それほどまでに原作に依存しなければならない映画ってどんな存在なんだろうか。オリジナルを食い物にして生き延びている現状は、まさしくひ弱なパラサイトそのものではないか。

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