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October 02, 2012

火星年代記

Photo火星年代記/レイ・ブラッドベリ 小笠原豊樹役
ハヤカワ文庫SF

8月22日、NASAは、火星探査機キュリオシティのランディングポイントをレイ・ブラッドベリにちなんで「ブラッドベリ・ランディング」と命名したという。そのニュースとともにブラッドベリが今年の6月になくなったのを知ったのだった。SF好きならば誰でも知っているような著名な作家ながら、不思議と縁がなく、いくつかの代表作も題名は知っているものの、実際読んだことがないことにハタと気づき、書店に駆け込んでこの「火星年代記」を手に取った。

火星を舞台とした複数のオムニバスで構成されており、それぞれの短編を繋ぐさらに短い接続詞的なパートも含め26章で成り立っている。描かれているのは、初めて人類が火星を訪れた1999年1月から2026年10月までの27年間の火星における人類の歴史である。火星人とのディスコンタクトから、人類が火星人を駆逐し、地球文明を火星上に再現し、地球の危機により火星を一時は放棄するも、地球の致命的な状況から再び火星に人類が戻ってくるまで、いろいろな立場の人間が火星の風土や火星人とふれあうことよって、人の脆弱性をあらわにしていく。恐怖や傲慢といったネガティブな部分が強調される逸話は、現代社会、現代人への批判そのものなのだが、抒情詩的散文に乗せて描かれる火星ドラマは全編通じてどこか裏寂しく、ブラッドベリの批判精神がじんわりとしみこんでいくような読み応えがある。

発行された1950年から未来を見るとき、1999年には人類は火星に到達している(クラークは2001年には木星軌道上まで地球人は進出していると書いている)と想像できた。火星人もまだ希望的に存在しえただろう。しかし、この手のSF小説ではありがちだが、すでに現実の時間が小説の時間を飛び越えてしまい、当時のリアリティ、火星への夢を今現在感じ取ることは難しい(実際、改訂版では作者本人の手によって年代が2030年1月からすべて31年繰り下げられた)。また、作中に出てくる火星の町の風景も1950年代のそれとあまり変化がなく、半世紀先の社会のイメージに乏しいのは、SF作品としては物足りなく思うところだ。だからその意味でこの作品はファンタジーとして読むべきだろうと思う。精神体と化した火星人がよなよな荒野を漂うシーンや、火星から燃える地球を仰ぎ見るシーンが、どこか御伽の国の話的な浮世離れした感覚で読めるのも、そういったブラッドベリの詞的な小説世界によるところが大きい。そして、御伽噺的だからこそ、地球の核戦争がより際立って神話化されるのかもしれないと感じた。どうしたって冷戦時代の作家は核戦争への恐怖と警鐘というテーマからは逃れられず、ブラッドベリも例外ではない。地球が核によって滅び、火星に逃げてきた地球人を「火星人」と呼ぶことこそ、現代社会(核によって安全を保障される物質至上主義的世界)に対する大いなるアイロニーなのだ。発刊から半世紀以上が立ち、火星がどんなところなのかがどんどん明らかになっている今日においてもなお、ブラッドベリの批判精神は作品の中に生き続けるのである。

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