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November 08, 2011

昨日の続き

はからずも、今週のサカマガ編集長の巻頭コラムのテーマが、降格と監督の関係についてだった。柏にしても広島にしても、J2に落ちるわけがない戦力を持っていたにもかかわらず降格してしまった。となれば要因として考えられるのは監督ということになる。いわんや、昨年の東京にしても然り。確かにけが人は出たものの、これは毎年の恒例行事的なところがあるし、シーズン途中の補強だって一応している。プレーするのは選手だが、選手が持っているポテンシャルをチームとして引き出せなかったのは監督の責任だ。選手が大きく変化していない(とはいえ柏は2人のブラジリアンが当たりだったのはでかいが)柏や広島がJ1に復帰して躍動しているのをみれば、監督の役割は存外に大きい(継続は力なりというところも大きい)。

熊さんが昨年途中から引継ぎ、担当したリーグ戦10試合で4勝3敗3分の成績を残したものの、前半戦の負債が大きすぎて降格の憂き目に遭った。もう少し早い決断があれば残留していたかもしれないが、それでも、最後の2戦、どちらか勝ちさえすればよかったところで勝てなかった。土俵際の指導力、采配に物足りなさを感じたのも事実だ。

今シーズン立ち上がり、チームの方向性が蒙昧としていたときに、選手たち自らつなぎ倒して勝つサッカーがしたいと熊さんに直訴したくだりは有名な話だが、監督としてどうなのよ、と思わせるエピソードでもある。そして、先日のセザーの話もチームとしてのズレを感じさせる。

JFKが目指したサッカーを信奉した選手たちが、監督を頼りすぎてしまい、負のスパイラルに陥ったときにどうしたら良いかわからなくなってしまったということを反省し、自主的にスタイルを求めたのは成長だと思う。では、熊さんはつなぎ倒すサッカーを極めるにふさわしい人材なのか。その検証は不可避だろう。いやそれ以前に、つなぎ倒すスタイルは、J2だから通用したのかもしれない。そのままJ1へ突入して、再びスタックしたらどうするのか。また、戻すのか。JFKの何がだめだったのか、十分な検証もされないまま、(‘あの人’の作為を感じないでもないが)とりあえず1年で戻るという目標に隠されてしまった。

東京支援者の間では、JFKが現場復帰するらしいという噂で持ちきりだ。一度失敗した人間をすぐ戻すなどありえんだろうが(そうだったら途中解任すべきではなかった)、とはいえ、熊さんで良いかというと、それにも疑問符がつく。長期にわたるスタメン固定は、硬直化したチーム作りをイメージさせるし、リスク管理や育成の観点からしても不安がある。セザーの件にしても、交代選手の采配にしても、マネジメントの納得性が乏しい。本当に熊さんはつなぎ倒すサッカーがしたいのだろうか。

つなぎ倒すサッカーのベースはトータルフットボールだろう。ベースラインから攻撃を組み立て、最前線から守備を行う。ポジションは流動的で、流れの中でスペースを埋め、バランスを保っていく。この考え方であれば、フィードの下手なディフェンダーや守備ができない前線の選手はミスマッチということになる。ルーコンの守備力を前にしてしまうと、セザーや坂田は何もできないのと一緒だ。熊さんがセザーにこだわるのは、彼の得点力故だろう。守備はいいから点を決めろ。そうであれば、そのようにチームを持っていかないと無理だ。ボールをつないだ最後の点としてセザーを据えないと。

たぶん、普通にやっていればJ1の中位ぐらいの実力は今でもあるのだと思う。問題は、J1に復帰してそれで良いのか、もう一度常勝チーム作りにチャレンジするのか、ムービングサッカーを貫くのか、クラブがどうしたいのかだ。そのビジョンなくして、監督は決められないだろう。J1へ1年で上げたからという実績主義的な判断はなしだ。なし崩しだけはやめにして欲しい。

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