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August 18, 2011

はじめての支那論

Photo はじめての支那論/小林よしのり×有本香
幻冬舎新書 ISBN978-4-344-98225-3

有本氏の豊富な中国経験から導き出される中国人観と、小林よしのり氏の国家論が付かず離れずで展開される、だれにでもよくわかる近代中国論。
なぜ日本だけがチャイナを「支那」と呼ばないのか。なぜそこまで彼国に気を使うのか。尖閣諸島の一件然り、中韓にヘコヘコしている政治家を見ると非常に腹が立つのだけれど、同じような思いを持っている人には是非読んでいただきたい慧眼の一冊だ。

なるほど「中国人」というのはある意味存在しないのだなということが良く理解できた。それは、「中国」が国家という体をなしていないことであるし、またそこに住んでいる人たちが国家という枠組みとは関係ないところで生きているということでもある。中国に「国民」も「市民」もいないのだ。あるの共産党と個人。中国にとっての領土はやくざの縄張りと同じというたとえは非常に分かりやすい。

中国人個人の体質は、個人主義というよりは利己主義(自分からは決して非を認めないのはアメリカ人とそっくり)。そして、それはグローバリズムに通じると。グローバリズムはアメリカの権益を強化するための方便だが、「支那人」にとっても実に合理的なシステムになっている。だから中国共産党はアメリカと今は波長が合う(アメリカがもう少し弱体化してくると結構危ないことにもなるかもしれないが、その前に中国がこけるという予想もある)。日本人はこのルールには基本的に乗れない民族体質だし、乗ってはいけないし、米中に挟み撃ちされないように用心深くならなくてはいけない。それなのに、日本の政治家や官僚は何にも考えてない。経済市場原理に任せてこのままグローバル化を進めるのは(全否定はしないが)日本にとって非常に危険な状況だ。

彼我の差を踏まえて展開される小林「日本鎖国論」と、そうはいってもグローバリズムに乗って行けるのではないかと思っている有本さんのギャップが楽しい。「公(おおやけ)」の概念が身体に染み付いてる日本人と、まず「自分」ありきと考える欧米&支那人では相容れない部分が多すぎる。自分がいかに正しいかしか言わないし、理屈に詰まると必ず滅茶苦茶な屁理屈をこねだすのがうざったい。その行きつく先は略奪行為ということだ。

本書は「支那論」の形はとっているが、アメリカを含め彼国を見ることで、日本はこれからどうあるべきかを考えるきっかけである。まずは自虐的な歴史認識を改めること。そうしなければ、中韓との関係はいつまでたっても改善されることはない。アジアに対する負い目と一方で経済拡大主義を背負ってきた昭和世代から、フラットな価値観を持つ平成世代に変わる事で、日本も縮小社会に見合った新しい生活観を見つけることが出来るのではないだろうかと小林氏は期待を述べるのだが、本書で唯一、その希望的観測だけは賛同しがたかった。

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