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October 12, 2010

十三人の刺客

映画評などを見回すとおおよそ好評だが、部分的に割れているところがあり、それはおそらくオリジナルとのギャップに対する解釈違いなのでは?と思いつつ観てきた。オリジナルを観ていないからなんとも言えないが、単独の娯楽作品としてみるのであればこれはありだと思う。
(ややネタバレ)

Photoストーリーは刺客をそろえて暴君を誅殺するといういたって単純なものだから(とはいえ、ストーリー自体にも考えさせられるところはたくさんある)、作品の成否は演出と俳優の演技にかかっているといっていい。前者に関していえば、特にクライマックスの戦闘シーンにおいて、敵方の人数が200人とか爆薬を使ったりとか辻褄の合わないことがほとんどながら、何とかぎりぎりの線で踏みとどまり、娯楽と物語の真剣さのバランスを保つことに成功している。これは時代劇ではない。現代的解釈によってエンタテイメントに昇華させている。そこに違和感があるといわれてしまうと、この作品は駄作としか言いようがなくなる。確かに、四肢を切り落とされた女のグロいシーンや最後のシークエンス&ラストシーンなどなど(伊勢谷君は本作ではちょっと気の毒だね)、本当に演出としてシーンとして必要かどうか疑わしいところもたくさんある。しかし、概ね緊張感を保ちつつ、侍の生き様を敵役である殿様も含めて躍動的に描いているところは好感が持てるのだ。

もうひとつの見所である俳優陣の演技だが、時代劇における現存の大御所たちと若手のコラボが気持ちいい。松方さんの殺陣はとにかくかっこよく、表情が決まっている。役所、松本、平、市村の皆様は安定感抜群。安心してみていられる。しかし、それ以上にいい意味で期待を裏切った稲垣吾郎。彼の怪演によりこの作品は一段上に上がった感がある。いや、彼がいなければ成立していなかったのではないかとさえ思えてくる。それは、劇中の役どころにおいてもこれらの配役においても彼の異質さが際立っているからだ。藩主の冷血さ、残虐性が、異常性という一言では決して片付けさせない、鋭い理性に裏打ちされた狂気であることを見事に看破し、生まれていた時代が違えば、もしかしたら英雄になっていたかもしれない、時代に対する松平斉韶の苛立ちを静かに表現していた。悪役の2文字では納まらない存在主張。ちょっと見直してしまった。

全編とにかくグロい。タラ的と言ってもいいのかもしれない。返す返すもこれは‘時代劇’ではないのだ。

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