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August 03, 2010

告白

6月7月と映画の方がトンとご無沙汰で、それなりに観たいものはあったのだが、W杯優先の生活だとそこまで頭が回っていかなかった。とりあえず再開1作目に選んだのはロングランを続ける『告白』。映画の日とも重なり1000円で鑑賞できたが、流石に客席も両手が余るほど。ギリギリ間に合った感じだった。‘重い’とは聞いていたが、オイラ的にはこれはエンタメとして割り切れるぐらいのドライな感覚で観れた。小説は未読であるが、これは現代日本社会のデフォルメであり、そこを強調すればするほど現実と乖離していく、つまり絵空事に思えてくる奇妙な構造があった。

Kokuhaku

秋葉原の事件や、つい最近の大阪育児放棄事件など、現実に起きることがあまりに小説的で、作品自体の社会的テーマ性とかが逆に浮いて見えてしまう。これは制作側にとっては不幸なことで気の毒に思う。命の軽重について考えようにも、現実社会においてあまりに人の、子供の命が軽すぎて、このような創作に触れる以前に打ちのめされてしまう。最初は、お金を払ってまで重い気分になるのはどうなんだという思いもあったが、現実がそれを簡単に乗り越えさせてしまったのには少々驚きだった。この作品は創りごととしてはとてもよくできていて、映画での登場人物の独白によって進行する物語も事件の心理的側面を強調する演出手法として効果的だった。そして、松たか子は相変わらず松たか子だった。
少年犯罪を題材にとっていはいるが、主題は家族という社会モデルが崩壊した現代において、人は人としての拠り所を一体どこに求めたらよいのかという問題提起にある(家庭も「底が抜けている」のだ)。この作品に登場する子供たちは、すべて大人、社会の鏡像として描かれている。孤立している子供を導くはずの教師ですら道を見失っているこの時代に、どこを目指せばいいのか。「ここから更生の道が始まる」という悠子の科白には空恐ろしさを感じるのだが、その答えは本作中に示されることはない。すべてが利己的であることに嫌悪感をもよおしつつも、森口悠子が美月と分かれた後もらした慟哭と最後に流した涙は一体誰のためのものだったのか。それを考えることが、‘答え’にたどり着くための入り口のような気がする。そして、答えは一つではない。見る人の分だけ存在している。その‘深さ’がこの作品をここまで引っ張った最大の要因なのではないだろうかと思うのだ。

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