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October 13, 2009

菊と刀

Kikutokatana 菊と刀/ルース・ベネディクト 角田安正訳
光文社文庫 ISBN978‐4‐334‐75169‐2

外国人による日本(人)研究書の古典。アメリカの占領政策を決定づけたベネディクトの日本人分析は、今日においても色褪せていない。戦後60年以上もたって、これだけアメリカ化が進んだとしても、日本人はどこまでいっても日本人なのだという思いを新たにする。そして、今何が日本から失われつつあるのかがここで確認できる。

一つは「分をわきまえる」ということ。昔は「応分の場」が保たれている限り、日本人は不満も言わずに頑張り続けた。もともと日本は階級社会だったし、その中で、ある一定レベルの生活は保障されていた。だから、階級制度そのものに対して不満を持たなかった(江戸末期は実態として階層は崩壊していたわけだけれど)。今日問題なのは「階層化すること」ではなく、その”一定レベルの生活”がある階層において保障されなくなってきているところにある。一方で、バブルを経由して分をわきまえない人間も相当増えた。あるところでは叩かれていたりもするのだが、いずれにしても過分な欲望が社会を、世界をおかしくしていることは間違いない。過ぎたるは及ばざるがごとしである。最近の子供たちはあまり物欲がないといわれる。親が勝手に買い与えてしまうかららしいが、これからの時代、不自由のない生活がどれだけ保障されるのだろうか。わきまえすぎて、まったく上昇する意欲がなくなってしまうのも問題だし、昨今の外交をみるにつけ、謙虚なだけでは損をするばかりでもある。今日的な「日本の分」とは一体どこにあるのだろうか。

本書の核は、「義理」と「恥」の分析にある。『羞恥心』というグループが堂々とマスメディアから発信され、各世代の人気を博したことが、ある意味象徴的なのだが、確かに今の日本には「恥」という概念が希薄化していると思う。「恥」は強力な強制力、自制力につながる。ただ、その発動のためには自分が周囲(物理的に、人間関係的に)から”見られている”という意識が必要だ。しかし、今の特に若者たちは(もしかしたらおばさんたちも)公共の場において見られているという意識が欠落している。もしくは、見られていると意識していても全く意に介さないかのどっちかである。何が恥ずかしいかの定義も怪しくなってきている。それは、社会全体の許容度(『羞恥心』は自分たちが世間的に結構恥ずかしい存在であることを自覚している。その上で見る側はそれを肯定している)と親の教育(躾)が強力に関係している。これから先、なし崩し的にモラルが低下していくことは社会にとっても不利益だ。ある作家の口癖ではないけれど、国家が負担するコストを民間で吸収する意味においても公共モラルが高いということは重要なことだ。低下してきているとはいえ、それでも日本のモラルはたとえば中国などとは比べ物にならないぐらい高い。日本人として継承されてきた美徳をこれ以上食いつぶすことのないようにしたいものだ。

ベネディクトの分析の下地には、やはり「西欧的精神」との比較がある。そのなかで、特に興味深いのは、欧米人は自分の主張を曲げたり取り下げたりすることに抵抗する。彼らの根底には確固たる思想・精神が存在し、主張を取り下げることはすなわち自己否定につながるからだ。アメリカ人が自分からはまず謝らない原理はこの辺にある。一方、日本人はある主張がダメだと簡単に取り下げてしまう。これは、根っこに確立された原理的なものが存在していないことでもある。司馬先生流に言えば、日本の地勢的環境が民族性を育んだということになるのだが、この簡単に取り換え可能な日本人の思想的性質に目を付けたアメリカは、占領後の自治を日本政府にゆだねることにした。占領された側に自治をゆだねれば、再び反抗する分子が出てきてもおかしくはないが、ベネディクトらの分析から、アメリカは手間をかけることなく占領地の統治に成功したというわけだ。天皇制が維持されたということも非常に大きな要因であることは言うまでもない。天皇制は当時の唯一無二の日本人の精神的支柱だった。日本人と西欧人のバックグラウンドを形成する精神は天と地ほども異なっている。うわべアメリカ化が進行しても、本質的な部分ではそう簡単に変わることはない。ただ、近年のグローバリズムは一部で日本人の持っていた精神構造に影響を及ぼし始めているようにも思える。イスラムのようなスタンスもどうかとは思うが(中国も基本は‘中華思想’であり、その意味では注意が必要)、多様性を是としながら、ある時は多少けんか腰になったとしても、日本はあくまで日本らしさを求めていくべきなのだ。ベネディクトの分析にあるように、日本には日本らしい、ある意味で世界に誇れる民族的なコアがあるのだから。

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