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July 28, 2009

ディア・ドクター

タイトルと笑福亭鶴瓶というキャスティングだけで話の大筋がわかってしまう。実際そうだった。しかし、この作品の妙味は最初からわかっているからこその演出だったりするのだ。これは一つの確信犯的映画である。西川美和侮りがたし。(ネタバレ)

Dear_doctor_2 村でただ一人の医師、伊野(笑福亭鶴瓶)が失踪する。失踪の原因を紐解くように物語は過去と現在を行き来する。伊野は元MRの無免許医師だったが、村人達からは神のごとく信頼を寄せられていた。一人暮らしのかづ子(八千草薫)を診察した伊野は、彼女からある約束を持ちかけられる。自立した娘たちに心配を掛けたくないので、自分の体のことを黙っていて欲しいという。彼女は胃がんだった。伊野は出入りのMR斎門(香川照之)の胃カメラと彼女のものを入れ替え、医者であるかづ子の娘りつ子(井川遥)を騙すことに成功はしたが、かづ子の命を救うために姿を消すのだった。

現実に無免許医師の事件事例はいくつもあるが、一般報道からその犯人の意図するところまではなかなか見えてこない。この作品は、そこにある心理的風景を切り取ってみせることで、今の日本から失われつつあるものについて語ろうとしている。

テーマの核心は、刑事と斎門の事情聴取のシークエンスに収斂されているように思えた(これは感じ方それぞれなので、あくまでオイラの見方)。なんで医者なんかに化けようと思ったのか、刑事が質問したときに、不意に斎門は後ろに倒れる。思わず刑事は支えようと手を差し伸べる。それは愛情でもなんでもなく、人が人として持っている他人を気遣う本能的な優しさだ。そしてその優しさが、この映画全編を通じて鶴瓶師匠の苦悩の表情としてにじみ出ている。伊野というニセ医者の存在は、正体がバレ、つるし上げられるかもしれないという恐怖に苛まされながら、なおそれでも村人に手を差し伸べずにはいられない弱弱しくオドオドした良心の象徴に他ならない。

若い研修医相馬(瑛太)が病院経営に没頭する父の姿に幻滅し、僻地医療にやりがいを見出すシークエンスも、りつ子が東京の大病院で働きながら母親を理解することが出来なかったエピソードも、ボディブローのように効いてくる。あるべきことがそうなっていない現実の苦悩が観ている側の日常とオーバーラップしていく。いろいろな社会的な歪のなかで生きていく上で、やっぱり大切なのは人と人とのつながりなのだと。それは、親族か他人かということではない。本物か偽者かということでもない。

しかし、結局伊野は人の命の重みに耐えかねて逃げた。りつ子は彼がどうやって母親を死なせるつもりか知りたがったが、あのエンディングにその答えがあったのかもしれない。

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