日本サッカー偏差値52
彼の独断と偏見によれば、日本は偏差値52だそうだ。同じ52にはイラク(FIFAランキング94位)、スロバキア(43位)、ボリビア(64位)、トーゴ(71位)、ラトビア(56位)、ウェールズ(67位)、リトアニア(60位)が並ぶ。アジアのライバルである韓国は54、オーストラリアは55。トップはブラジルの70と断トツで、次いで68にアルゼンチン、64スペイン、63ドイツと続いている。FIFAのランキングとはあまり関連性はない。この偏差値はその国のサッカー文化の総体を表しているからだ。要素としては「戦術」「監督」「選手」「メディア」「ファン」「審判」「リーグ&クラブ」「協会」を挙げていて、それぞれに偏差値がつけられ、総合として52という数字がはじき出される。彼の見立てによれば「選手」と「ファン」はレベル以上にあるが、「監督」「メディア」「審判」は劣っているとみている。一体何を持って基準としているのかは定かではない。選手や監督は年俸や実績で見ることはできるだろうが、戦術は監督の意向が強く出るし、システム自体は良し悪しではない。ファンもファンの何がその国のサッカーの力になっているのか、観戦者数なのかコアなファン層の数なのか、応援方法や客層でいい悪いも言えない。偏差値という発想は悪くは無いが、全体的に世界の中の日本を見るときの視点がやっぱり欧州マンセー的で、その辺が鼻につくのだ。
プロ化15年で足りない物はたくさんあるのは百も承知ながら、欧州(あるいはブラジル)を追従しなければいけない道理はなく、日本は日本のサッカーを追究していけばいいじゃないかと思う。そのために海外の好事例を参考にし、取り込んでいくことには反対はしないが、欧州に倣わないと強くなれない的な物言いはジャーナリストとして見識が狭い。確かに我々は彼よりも海外サッカーの知識を持ってはない。現場の体感もしていない。当然のことながら、本場の凄さ、真実を伝えるのが彼の第一の仕事であろうし、そもそも民族性もサッカーというスポーツの始まりも歴史も背景も違うということを認識した上で、どうすればもっと強くなれるのか、日本の在り様を提言すべきではないだろうか。
海外のスタジアムは「応援」以前に「観戦」があって、選手の一挙手一動に反応し、いいプレーには賞賛し、悪いプレーにはブーイングする、そういう見る側のリテラシーとマナーができているという。対して日本は、観戦しながらお弁当を食べたりおしゃべりしている。次に何が起こるか分からないサッカーをみる姿勢になっていない人が多い。でも、それの何が悪いというのだろう。お金を払うのはお客さんだし、そこで何をするのかも自由だ。こうしてみなければいけないというのは、周りの勝手な思い込みだし、その価値観を押し付けるのは傲慢だと思う。今の状況でさえ、スタジアムへ足を運ぶハードルになっているというのに、そんなことで縛ったら客層はいつまでたっても広がらない。シンプルにサッカー(観戦)の面白さが広く伝わっていないことのほうが問題なのではないだろうか。で、その伝える側が、間違った伝え方(手段と内容)をしているのではないかということだ。それは、著者の指摘にある通り関係者の努力不足であり、当然その中には著者も含まれていると思う。サッカーを知っている人間にとっては、こんな見方もあるなと思いつつも、本書もある意味で間違えている。
ただ、あとがきにあるように、いろいろな人間がサッカーについて語ることの必要性はオイラも感じるところだ。マスメディアが煽る熱よりも、サッカーファンが発する熱に感化されてパンデミックするほうが正しい広がり方だと思うし、一方的な押し付けっぽいところもないし、こうしてFC東京というローカルなチームのことについて発信している(関係ないことのほうが多いかもしれないけど)このブログも、なんらかそういうことに貢献しているとすれば、続けていく価値もあるのかなと思ったりもするのであった。



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