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April 02, 2009

RIDEBACK 第10巻

Rideback10 RIDEBACK 第10巻/カサハラテツロー 

 小学館 ISBN978-4-09-188455-8

第9巻が発刊されたのが昨年末。岡倉救出作戦が唐突に、多少ご都合主義的に展開されたことに違和感を覚えた。これまでの物語の進め方からすると、ちょっと強引な感じがしたのだ。その巻末には10巻完結が告知されており、発売も2月と近かったため、9巻におけるリズムの変化に対する評価を保留して10巻が出るのを待った。(ネタバレ、というか読んでないとわからない)

この作品をひも解くヒントはあとがきにある。作者は最初主人公「尾形琳」をジャンヌダルクのような役割で考えていたそうだ。体制に抵抗する救世主的イメージ。しかし、物語を進めていくうちに琳が作者の言うことを聞かなくなっていく。作者の思惑とは違った展開に琳がいきいきとして見えてくる。そして「尾形琳は一体何を考えているのか」を編集者と一緒になって考えるようになる。このプロセスこそがこの作品の密度を高めていったわけだが、そうやって作られた琳のその心理的な揺らぎの中から、最終的に反GGTを意識し自らの強い意思で動き出す琳が生み出されていった。「尾形琳」はなぜ“そうなっていった”のか。あとがきで作者が書いている通り、「時代」や「勢力」に立ち向かうのではなく、巻き込まれることによって「時代」そのものをある方向に加速化してみせる役割を自然と担わされたからなのだ。彼女を突き動かすものが、決して「正義のため」とか「世界を救う」とかありきたりの勧善懲悪ヒロイン漫画のようなものではなく、あくまで「尾形琳」の個人的な欲求に根ざしていることにこそ、この作品の本質的価値がある。

岡倉救出に多くの犠牲を払ったことに対して上村しょう子は「人の命の重さはみんな同じはずなのに!!」と叫ぶ。しかし、琳は助けたしょう子に言う。「命の重さなんていちいち全然違うよ」と(第9巻)。しょう子はその言葉に戸惑い否定したい気持ちになりながら、GGFに捕縛されていた彼女の母親と妹が救出された報を耳にして安堵するとともに、琳の言葉を思い出し、その意味するところを痛切に感じるのだ。それは結局いくら綺麗事を言ったところで、自分の“生”に直接かかわっているもの以上に大切な存在はないということなのだ。その小さな世界で生きることが人としての当たり前だし、それを失うことは世界のどこかで命を落としている誰かとは全く意味が違う。世界統一を謳うGGTの虚しさはこのエピソードからも伝わってくる(この辺は00のテーマとも関連してくるが、それはまたいずれどこかで)。知識はネットによって拡張していくが、リアルな世界はこうしてどんどん小さくなっていく。

そう、これはポストモダンの物語なのだ。
だから、物語が最終局面で琳と横山先生の対峙に向かっていったのは必然だった。ストーリーとしては、琳がGGFを打倒するという最終目的に対して中途半端な終わり方だったかもしれないが(GGTのとってつけたような自壊もご都合主義的だ)、GGFの打倒とはすなわち「大きな物語」の否定であり、それは「大きな物語」を前提とした横山先生の生き方、野望に深く関係している。
ポストモダン社会の中で「輝きを持って生きられる」者は「動物的」であり、それは琳に代表されるような才能をもつ者だといえる。すべてが自由化される新自由主義の世界は自分の意思と能力によって無限の可能性が開かれていると同時に、それらを持ち合わせない者たちにはある意味悲惨な未来が待っている。横山先生は天賦の才能に恵まれなかったが、彼女自身自分も輝きたいという欲望を捨てることができず、GGFという力の上でその才能を開花させようとした。しかし、その夢はもろくも琳によって打ち砕かれる。
自分の思い通りにならなくなった琳を抹殺するために罠へと追い込んでいく横山だったが、琳から輝きを感じられないことを不満に思った。輝きを殺していたのは彼女の死への欲望だった(隠遁先のスペインで彼女は“死”を決意している。帰国したのは死に場所を求めてのことだった)。それは人間が人間としてしか抱けない欲望の形であり、究極のスノビズムなのだ。しかし、横山と交えるたびに琳は再びおのれの性(さが)に目覚めていく。アーティスト=動物としての本能の赴くまま、欲求をむき出しにしていくことで琳に輝きが戻ってくる。そして、戦いというダンスの中で、横山はついに自分に無いモノの一端に触れるとともに琳の孤独を理解する。しかし、その瞬間横山はミサイルポッドに突っ込み爆死するのだった。この結末は、望んではいけないものを望む者の末路を示唆している。すなわち二人の生き方はポストモダン社会の残酷な側面そのものである。動物的に生きることを選択することで輝きを取り戻す尾形琳こそポストモダンの象徴といえる。そして、多くの人々は「上村しょう子」であり「横山みさを」なのだ。
「尾形琳」のような才能こそがポストモダンを加速化させていく存在になるのだろう。その姿が魅力的に見えるのであれば、時代は確実にその方向に進んでいくということなのだ。この物語は、あるところまで来てしまって停滞感や閉塞感が漂う現代日本において、これからどう生きていくかの問いかけでもある。作者が時代を感じながら、物語を、「尾形琳」というキャラクターを作り上げてココに到達したのは決して偶然ではないと思う。創作プロセスに時代性がしっかり刻み込まれているこの作品は、この直近5年半という揺らぎの歳月から生み出された“時代の必然”といえる。

【追記】アニメ版は原作の取り込みに失敗した典型例。よくあれをカサハラ氏が許したなと。RIDEBACKの動画化が完璧だったゆえに、それだけ拾って別物に仕立てたほうが良かったと思う。

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