« ザ・ムーン | Main | 現役引退に思う »

January 27, 2009

動物化するポストモダン

Doubutsuka 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会/東浩紀

講談社現代新書 ISBN4-06-149575-5

世界を席巻している現在の日本のサブカルチャーも、源流をたどれば全てアメリカ製であり、オリジナルを日本人の感性やあるいは経済的な制約の中で変造してきた結果だという解説にはなるほどと感心させられた。汎アメリカ主義が停滞する中、結局アメリカ的なものが姿を変えてばら撒かれているだけにすぎない。日本はまだまだアメリカの呪縛からは逃れられないということなのだ。経済においても結局アメリカに引き摺られている存在でしかなかった。しかし、この話は本書の論旨にはあまり関係がない。

いわゆるオタク系文化の消費形態を構造的に分析し、そこからポストモダン時代における人間のありようについて考察を加えているのが本書である。2001年に上梓されたものだが、書いてあることについて時代的に今と大きな相違はないように思う。ポストモダン社会では、「大きな物語」と呼ばれているある種の社会全体をまとめているシステム(個人的にはシステムとともに生活慣習・社会常識・コモンセンスなども含まれていると解釈)が消失し、表層の「小さな物語」を消費しながら、人はより欲求の赴くまま(動物的)に生きていくことになるという。

筆者がオタク系文化から読み取った、消費の対象がデータベース化し、そのオリジナルの意味性が矮小化され、二次創作に代表されるように、ユーザー側が能動的にデータに関わっていく構造は、まさに現在のインターネットにすべて表出している。携帯小説やアバターファッションなどは今日的なサンプルだ。さらに、こういった動きはサブカルの領域に留まらず、生活全体にも波及してきているように思える(たとえば「売られている食品はすべて安全なもの」という神話が完全に崩壊した2008年はポストモダンにおける記念碑的な年になるかもしれない)。今回の不況は、データベース消費の普及を加速化させるのではないだろうか。

ただ、このような社会が進んでいく先に、本当の意味での個人の幸せが待っているとも思えない。動物化の結果、超利己的な存在として孤立し、社会的に破滅する人間も出てくる。秋葉原通り魔や神隠し殺人やその他もろもろの常軌を逸脱した殺人事件は、そういった不適合の結果なのだと思う。とはいえ、われわれは近代へ後戻りもできない。だから、今、これからの時代に求められる「新しい物語(リアル)」とはどういうものなのか、ということなのだろう。他者に対して危害を加えることがなければ、別に動物的に生きることを恥じる必要はないと思う。しかし、アメリカが行き詰ったことを象徴として、「次」が必要とされていることも確かなのだ。

もし、アレクサンドル・コジェーヴが言うように、日本におけるスノビズムが一つの方向性として存在するのであれば、今となっては、それは一部の富裕層か、もしくは本当に物質から解き放たれた最下層からしか生まれてこないような気がする。結局、何を頼りに生きていくかを考えたとき、その軸の強さが生き方を決定するのであり、その意味で中途半端に何かを持って消費している層には、危機感も達観も生まれ得ないと思うからだ。自分自身は当面“動物”のまま生きていこうと思うが、どこかでシフトしなければならない時が来ることも予感している。それがいつになるかはわからないが。

|

« ザ・ムーン | Main | 現役引退に思う »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/77466/42978058

Listed below are links to weblogs that reference 動物化するポストモダン:

« ザ・ムーン | Main | 現役引退に思う »