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September 25, 2008

<ポストモダン>とは何だったのか

Postmodern_2   <ポストモダン>とは何だったのか/本上まもる

PHP新書 ISBN978-4-569-69242-5

1983年、浅田彰の「構造と力」から始まったニューアカがいつの間にか相対化され忘れ去られてしまう。そして今日、日本にポストモダンの思想はどのように受け継がれてきたのか、その潮流を再検討している。「リアルのゆくえ」よりも先に買ったはずだったのに、なぜか読む順序が逆になってしまった。日本におけるポストモダン思想を語る上で欠かすことの出来ない浅田彰、柄谷行人、東浩紀、福田和也を紹介しながら、最後にポストモダン社会における人格の四類型を提示し、スキゾを目指す意義を見出そうとしている。やはり、ここでは“動物的”であることを否定しているように読めた。

まぁ、そうはいっても、通勤の合間の流し読みでは、なかなかすべてを理解するのは難しく、周辺の文献含め相当力入れて読み込まないと無理。こちらはご親切にもお薦めの関連書籍を紹介してくれている。著者は、難しいものを難しいものとして理解することの大切さを巻頭で語っており、やさしくしてしまうことの罠=人の考える力を劣化させることを危惧している。よくわかるのだが、一方でそこで閉じてしまうことも同時に考えなければいけないことだろう。入り口は常に用意されているべきだ。

さて、中身についてはさておき、なぜこのタイミングでいまさらこんなものを読み始めようと思ったのか、自分なりに考えてみるのだが、それはおそらく、人が人として生きることを放棄し始めたのではないかという危機感なんだと思う。つまり、日本の社会全体に“思想”が欠如しているこの状況に、得体も知れない不安を感じたからなのだ。いたるところでモラルが崩壊している今の日本が、どうやったらもう少しまともになるんだろう、その答えを求めている。自分の記憶によれば、日本ってもうちょっとはましな国だったはずなのだ。今の日本を見取るための思想とはなんなのか。そこを見れば明日どうすべきかが見えてくるのではという、その期待だけで読んでいるのだ。

日本を俯瞰する文化的背景を知ることは確かに自分の仕事のプラスになる。しかし、かつて広告が時代の寵児ともてはやされた時代とはまったく状況が違うことも確かで、むしろそれを知ることで広告そのものの限界を嫌というほど思い知らされることでもあるのだ。いや、マーケティングを持ち込むのは止めよう。あくまで私的に知的欲求を満たすだけを考えて、まともに理解できないものを“動物的”に摂取し続けることで、いつかスキゾ的な人格が見えてくるかもしれない。

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