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February 20, 2008

平成人

Flatadult 平成人(フラット・アダルト)/酒井 信

文春新書 ISBN978-4-16-660611-5

平成の世に入ってから育った人たちをその特性からフラット・アダルトと呼ぶそうな。また、著者は皮肉っぽく「ヒラの成人(せいじん)」とも読む。経済成長が低滞し企業は年功順列を改め成果主義へ移行、順番を待ってさえすれば自動的にソコソコの役職につけることもなくなり、普通に働いていればヒラの人生がズーっと続いていく平成社会を平たく言い表している。団塊Jr.世代のちょっと下の著者が、自分たちの世代を自分の感覚で分析する第1~2章は、昭和の燃えカスのオイラとしてはなるほどと思うところが多い。ただ、中盤以降は残念ながら共感できる部分はほとんどなかったな。

要は、これからの平成の世を生きるための心構えを九鬼周造の『「いき」の構造(昭和五年)』から説いているのだが、唐突に全日本プロレスの話が出てきてみたりして、なぜこの時代に「いき」なのかがよくわからないのだ(全日プロはわかりやすくするための例えなのだが逆効果、というかその解釈でいいのか?全日ほど昭和を色濃く残しているのもないと思うのだが)。オイラに言わせれば、“イキ”な生き方は所詮自己満でしかない。

世界の中の日本という意味では、“いき”のような民族的で難解な価値軸を取るより、すでにブレークしているサブカルチャーにこれから日本を見出していったほうが(たとえば“kawaii”)楽しいし建設的だと思うのだ。日本古来の工芸文化なんかある意味“オタク”だし、そのこだわりと技術が日本を支える大きな力になっていたわけで、それが工業化から違う方向へ逸脱してしまっているのが現代日本の悩みといえば悩みなんだろう。そこをどう日本の中心価値として置き直すのか。製造業中心の昭和経済成長に対して、平たく言えば平成の日本は何で食っていくのかということだ。

自分の周りにいるアラサーの男連中は、大抵大人しくソツなく“収まろう”とする意識が強いように見ていて感じる。自分らしさにこだわる割にこうしたいという強い自己主張がない。著者がそんな同年代に苛立っているという感じがしないでもないが、無難に収まるぐらいなら、いっそのこと閉じこもってトコトンまで突き詰める1億総オタク化のほうがよほど未来を感じる。

結論的にいうと、“いき”という観念に含まれる一種“斜に構えた感”(九鬼周造の定義する“いき”には『諦め』=運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心が含まれているとする)が気に食わないのだ。アメリカや中国を相手にするとき、まさに我を通し執着することを諦めては相手に舐められるだけだ。日本人にはハングリーさがかけているという話はいろいろなところで耳にする。これが進めば、それこそ国として生き残るための力がどんどん低下していってしまうのではないか。そのほうがよっぽど恐ろしい。何の不自由もなく育った平成人に最も足りないものは、先へ進もうとする『貪欲さ』なのかもしれない。その自覚が当人達にないとしたら、それは危機的状況というしかないな。

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