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November 30, 2007

オシムがまだ語っていないこと

Im000023_2 オシムがまだ語っていないこと
原島由美子/著
朝日新聞社
ISBN 978-4-02-273149-4

オシム番の記者が彼の発言を中心にオシムの人となり、サッカーに対する考えを淡々と綴っている(文章に変な抑揚がないせいかスルスル読めてしまった)。また、2004年当時朝日新聞に連載された「オシムの提言」が完全版として収録されている。さらに、彼と関係に深い人たちに対してもインタビューしていて、オシム像を立体的に解明している。特に奥さんのアシマさんへのインタビューは、人間オシムを紐解く上で大変貴重なものといえよう。

オシムの発言は、“語録”とまで祭り上げられる。彼特有のシニカルなトーンがとてもユニークで知己に富み、ある時はミステリアスですらあるからだが、この本の中で紹介されているオシムの発言は、至極真っ当で、当たり前の事のように読める。発言の背景や周辺の状況、狙いなどが整理されることで、彼の発言の真意をつかみとることができる。「日本人よ!」(イビチャ・オシム/著 長束恭行/訳 新潮社)を読むより、オシムその人を理解するには適していると思う。

話は脱線する。

日本のサッカーを「日本化」するというオシムの基本思想は、本来は協会自体が打ち立てるべきコンセプトだった。しかし、相変わらず日本民族は自分のことは何もわかっておらず、外からの力を借りなければ動き出すことができない。トルシエの限界、ジーコの失敗を経て、「日本化」を意識してたどり着いたのか、それとも偶然に結果的にそうなったのかは知る由もないが、オシムという指導者を得て、国際化していく上で日本サッカーはやっと正しい方角を向いて進み始めた感がある。ただ、彼の「日本化」という表現には複雑な思いがあって、日本人のフィジカルやテクニックに適したサッカーをすべきと言う点では異論ないが、自分で考え自分の責任においてプレーすると言うことは日本人の特質として大きく欠落した部分でもあるのだ(監督の指示がなくて選手達が途方にくれたと言う下りは、まさしく日本における構造主義の象徴)。その意味で、オシムの取り組みは「ポスト日本化」だといえる。サッカーはよくその国の国民性を体現していると言われる。日本サッカーが、選手がピッチの上で考え、自己責任においてプレーを全うすることができるようになるのであれば、日本全体もそういった価値観、行動規範を通念化する必要がある。そしてそれは子供の頃から教育を通じて達成されるものだ。もともと、日本人は全体主義的だし、組織に対する自己犠牲精神が浸透しているわけだから(近年その価値意識はどんどん後退してきているのだが)、組織に対する貢献意識に個々人の責任意識が加われば、そうとう強い組織になることは間違いない。大事なことは、オシムがいなくなっても自然とそういった動きができるようにならなければ意味がないということだ。だから、国民の通念として定着する必要がある。できなければ真の「日本化」は果たせないことになる。

さて、難しい話はこの際どうでもよくて、とにかく、この本を通じて、彼の生来の茶っ毛あるキャラクターと壮絶な戦時体験に触れれば、嫌でも爺さんのことが好きになると思う。いかにサッカーが人生に対して多くのものをもたらしてくれるかを語らずして教えてくれる。

本著はオシムの次のような言葉で締めくくられている。
「明日はものすごくいいことが起きるかもしれないが、その逆もある。何が次に起きるかわかっていたら、決まっていたら、生きる意味がなくなってしまうだろう?」
でも、死んでしまっては元も子もないだろう、と。早く元気になって、また大好きなサッカーのテレビが観られるようになることを願ってやまない。

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