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October 09, 2006

ワセダ三畳青春期

Photo ワセダ三畳青春期/高野秀行

集英社文庫4-08-747632-4

閉店間際の紀ノ国屋にブラッと寄って、新刊の並ぶエンドの平積みを眺めながら歩いていたら、妙に郷愁を誘うタイトルに目をうばわれた。特に“三畳”というのはキーワードだった。某インサイダー取引の大手新聞社に勤めている大学時代の同期が存学中に西武新宿線の野方に一時期住んでいたのだが、その家が三畳だった。何度か遊びに行ったが、とても泊まれるところではなかった。彼は福岡から出てきていて、確かに金はなかったが、それでも1年も居なかったように思う。今時そんなところに巣くっているやつがいるとは酔狂な。学生時代の記憶が突然よみがえり、本を手に取った。

読み進めると、筆者は探険部に所属していたことが判明。探検部といえば、高校の同級が入っていた。ちなみに、そいつは某大手出版社で長いこと少女マンガの編集をやっていて、今は営業に出ている。いよいよ懐しい臭いがしてきた。そして、文中に出てくる「加藤」という人物。もしやあの加藤では?と、ついに知っている(かもしれない)人間が登場するに至り、この本を買ったのは必然であったことを悟る。
本の中身は何のことはない、乏貧暮しと変人の話だ。舞台である野々村荘全体が一つの「家(ホーム)」として空間を形成していることが、現代ではなかなかお目にかかれない隣人とのコミュニケーションを生み出している。根底で価値観を共有する擬似家族の物語といっても言い。この非日常的日常性こそ、この本のエンターテイメント性の源泉である。
さて、そんなことよりも、この本から読みとるべき重要なことは、30過ぎにもなってこのような生活が容認されるという日本社会の現実だ。モラトリアムとよく言うが、いずれは社会に出て独り立ちする事を前提としていた。しかし、いまや気分は終身モラトリアムである。「下流くん」がテレビに取り上げられ話題になる時代。終戦直後、上の世代が、皆が飢えに苦しまないですむような社会を創ろうとひっちゃ気になって働いた結果、働かない人でもとりあえず何とか生きていける社会が出来上がった。と同時に、定職を持たず浮遊する層も生み出してしまった。自ら選んで流れていくんだから別に止めようとも思わないが、高度な社会主義社会は資本主義とは別の次元で二極化を進行させるのだろう。いずれにしても格差社会は進行するし、これからもっと機会不平等になっていく。個人的には社会のダイナミズムは失われていくような気がするが、これからの社会、「欲」がない人間はどんどん押し流されていくだろう。
筆者は女を動機としてこの生活から足を洗うことになる。ある意味「欲」によって救われたわけだ。いや、救われたのかどうかは分からない。社会通念的に救われたのであって、彼本人が救われたかはまた別の問題だろう。日本の経済社会システムに適合する事を善しとしなかった価値観は、そうそう簡単に変えられるものでもない。一億総中流が解体され、幸せの形は多様化する。居辛そうな日本に固執することなく、ミャンマーの山奥で芥子まみれの生活を送るのも悪くはないだろうに。なぜ、彼がいちいち日本に帰ってくるのがよく分からなかった(そういう意味では、野々村荘は日本都市生活の辺境なわけか)。彼を日本につなぎとめている何か。うーん、やっぱり命の心配をしなくていいということなのかな。

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