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September 14, 2006

誰が為にタダ券はある

勝てるチームはフロントやサポーターやボランティアなど、そこに関わる全員が全力を尽くすチームだ。  (岡田武史)

サポーターはチームとともに闘うなかで感動を得る。ファンはお金を払って感動を買う。 (岡田武史)

ぶらっとブログ回りをしていたらノビタ語録を見つけた。どこかで以前聞いたことのある話でもあったが、改めて目にしたとき、東京はなかなか勝てるチームにはならないかもなぁ、と思ってしまった。
全力尽くしてるかぁ?>自分&選手たちよ。
闘ってるかぁ?>自分
年だしなぁ。

ナビスコ決勝戦のG裏では本気で全力だったけど、最近のレギュラーシーズンは、なんとなくなぁ。金払って感動を買おうなんて思っちゃいないけど、べったりもないなぁ。東京のサポって、そもそもどっかチームと適度な距離感があって、オイラはこの「緩やかな連帯感」が好きなんだな。集まった人たちが自発的にかつ自由な立場で参加する(でもベクトルは一緒、何とか勝たせたいという気持ち)応援風景はJの中でも独自・特異な存在だと思う。
ところがこの1~2シーズン、来場者の増加に伴いノビタの定義する「ファン」が確実に増えてきているなと感じる。それは、昨年あたりから急増したスタンドの「ノイズ」に現れている(ちなみに仲間の“ボス”は、あまりのウザさにA自由からUに席種を変えてしまったほどだ)。典型は「失敗」を「なじる」野次が格段に増えたことだ。
「バカヤロウ」とか「フザケンナ」とか、確かに怒りたくなるようなプレーはあるのだが、それを言っちゃお仕舞いだとわかってない人がいる(たとえば戸田の“惜しいプレー”を本気で怒ってる人とか。オイラなんかは笑うとこだと思っているのだが、おかしいですか?)というか、違うものを求めているからそうなる訳で、つまり払ったお金に見合うものを回収したい人たちなのである。それはゴールであり勝利であり(もしかしたらただのストレス発散かもしれないが)強さなのだろうな、と。しかし、「応援」(“愛情のこもった的を得た皮肉”を含む)でないものは、オイラ(達)にとってはただのノイズでしかない。
勝って欲しい強くなって欲しいと思う気持ちはオイラにだって当然ある。ただ、そこは1歩引いたところで俯瞰しているのがオイラのサポートスタイルであり(気持ちはG裏にあっても、もはや体がついていかないから引かざるをえないのは情けない話)、へたれプレーを冷静に分析するのもひとつの楽しみと割り切っている。欠点込みで好きになってしまったものは仕方がない。その欠点がちょっとずつでも改善されていけばもっと好きになれるのだから、その分楽しみも大きいのだ。(ところで、完全に東京と決別する時ってどんな状態なのだろうか、イメージがつかない)
話は相当それたが、このように拡張する「ファン」層が全力で後押ししてくれたり、ましてや闘ってくれるわけがない。客が増えれば増えるほど優勝からは遠ざかるというパラドックスである。先日もまた招待デーでタダ券を配ってきたが、フロントは「員数」が欲しいのか、それともサポが欲しいのか、どっちなんだろう。優勝したいのであれば「全力」を出してくれる人たちを如何に増やすかを考えるべきだし、とるべき手段とはこんなやり方ではないはずだ。J1の上位に入る予算を持ちながら、現在のような結果しか残せていない経営には疑問符がつく。今回の電柱にしたって、今のチーム状況からすればもっと優先させるべき補強ポイントがあるだろうと言いたい。「ファン」ばっか増やしてると(ノビタ理論からすれば、今の状態=感動がないでは、お金を払ってくれる人はいない、ということなのだが)、本当にチームのために闘ってくれる奴らはいつかいなくなっちゃうよ。オイラはそう思ってる。

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