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March 04, 2006

ホテル・ルワンダ

ごきぶりは全世界的に生理的嫌悪の象徴なんだなと。この作品の本質が集約されていたように思う。

1994年、実際にルワンダで起こった大量虐殺のなかで、難民をホテルに匿った支配人一家の緊迫の数日が描かれている。次々と、津波のように襲い来る生命の危機に対して、ポールが金と知恵を総動員して回避するたびに、見ているほうの心臓はどくどくと波打つ。エンタテイメントとしてみればこのハラハラ感は得がたい。しかし、同時に累々と横たわる屍の山は生理的な嫌悪しか残さない。

フツとツチという2つの部族の対立がこの悲劇を生んだわけだが、この構図は世界中どこにでも起きていることでいまさらながらに驚くことではない。ただ、実際行われていることは、我々の想像を超えている。それが目の前で展開されるのだ。

なぜ、そこまでやるのか。それは彼らにも説明がつかないのだろう。奴らはツチであり根絶やししなければならないゴキブリなのだ。個人的な恨みはないのだろうが、そのときそのときは無害(個々の人はいい人だとしても)でも、そもそも有害な存在として認められてしまっている。ナチスドイツにおけるユダヤと同じ。そして、有害なものであるという認識は一部の層によって作られた幻想であり、利害を正当化する方便となる。

価値がないとして先進国は傍観者を装う。ホテルの危機を本社が助けたのも、あくまでイメージを守るためだったのだろう。そこにいる人たちの命は別の話なのだ。国軍を支援しているフランスは、本音では簡単に内戦が終わってしまってはつまらないと思っているのだ。虐殺はいけないということ以上に、それを都合で放置する先進国を告発している。

振り返って、この国にこのような対立は成立しうるのかと考える。ネタはある。そして、例えばJリーグでこれまで起きたサポーター同士の抗争をみれば、何かのきっかけさえあれば身近なところでもそうなる、と思わざるを得ない。よほどの条件が揃わないとそんなことは起きないだろうとは思うが、このまま経済的な格差が広がっていけば、低所得層の不満が捻じ曲がって噴出するかもしれないことは否定できない。彼の国の危機はわが国の危機でもある。

好きか嫌いかという生理的本能的判断を我々は理性でコントロールすることが本当にできるだろうか。

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