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February 23, 2006

ミュンヘン

munich 事実は小説よりも奇なり。ドミノ、ロード・オブ・ウォー、ホテル・ルワンダ、来週末公開されるシリアナ。世の中の裏側でどんな事が進行していたかをテーマにした作品が続いている。安っぽいホラーよりも現代のリアルシングの方がよほど恐ろしい。

本作ミュンヘンもまた事実をベースに作られている。スピルバーグが社会的なメッセージとしてどのような思いをこめたのかは、人それぞれ感じ方が違うと思うが、私自身はまず第一印象として非常にパーソナルな映画として受け止めた。謎の情報組織にCIAKGBが絡んでくることによって、問題は政治的なものへと変化していく。国の大儀とは別のところで彼らの運命は転がされていく事になる。ミュンヘン事件をきっかけに繰り返される報復テロの応酬。映画は如何に敵を倒すかを丹念に描いている。冗長とも取られがちな「間」は、暗殺者たちの心理的緊張を表している。同時に主人公に対する感情移入を促しているのだ。描写そのものはシズルを追求しすぎたために相当えぐいが、真に描きたかったであろう暗殺者アヴナーの変化を観客に共有させるには、そもそも生理的に社会倫理的に受け付けないものを描いているわけだから、どこかで感じさせつつ理性的に判断させるところを残さなければならない。「間」はため息であり、現実に戻るための猶予でもある。アヴナーを取り巻く狂気は彼の日常を犯し、人としての生き方を奪っていってしまう。彼を麻痺させてしまったものは何だったのだろう。国に対する忠誠心か。信仰心か。それとも「報復」という名の快楽か。

ルイの粋な計らいでギリシャの隠れ家でパレスチナの闘士たちと呉越同舟になったシーンでの記憶があいまいなのだが、国を持たない民が祖国を求める気持ちは、もともと島国としてひとつの国家を形成している日本に生まれた我々には理解し得ない感情ではある。あのシーンはスピルバーグの思い切りの皮肉であり、この対立のひとつの回答なのだろうと思った。決して交わることはないのだ。ならば、隔離するか、相互に不感症になるかしかない。互いにナイフを突きつけあったままでは満足な眠りは得られない。

宗教的、文化的対立と見られがちなテロの問題も、エルサレムについて言えば(実は中東全域に渡るテロ全てが)多分に政治的な要素(あるいは経済的要素)を帯びている。預言者ムハマンドの風刺漫画に対する抗議行動も、宗教的文化的対立というよりは欧州におけるイスラムの立場を強化するための政治的な動きであるといった論調を見るにつけ、その中心にあるのは利害に他ならないことに気づかされる。他人がどんな宗教に属していようが関心はないし、まともであれば宗教の違いを理由に人など殺せるはずもない。この作品で殺された人たちは何のために死んで行ったのだろう。その死の裏側に張り付いているものが何かを見極める必要がある。大義のために始まった報復劇は、最後にはただの殺人ゲームになってしまうのだった。この空虚さこそがスピルバーグが描きたかったものではないだろうか。

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