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March 23, 2005

トーキョー ワッショイ!担がれる神輿のつらさ

チームは神輿だ。ワッショイワッショイ、我々が担いでこそ輝く。担ごうと思ったきっかけは人それぞれだし、何のために担いでいるかもそれぞれ。でも、みんな魅力を感じてひとつの神輿を担いでいる。東京との楽しい思い出、つらい思い出なら、それほど付き合いも長くない(とはいえ、かれこれ5年になるけれど)自分にだっていくつかある。ナビスコ決勝のG裏で大泣きしたこともある。観戦仲間たちのエピソードの方がよっぽど面白かったりもする。
なぜ、今のタイミングにこのような東京のサポーター本を出すのか、その意味みたいなものをもっと考えるべきなのではないかと思うのだ(話が堅くなってきたなぁ)。せっかく、サポとファンを区別すると言うぐらいの見識を持ってるんだから、内容的に、未成熟なサッカー観戦文化の今と未来について、もっと掘り下げるなり示唆的な提言をすべきではなかったか。(東京の魅力を解読する?にはちょっと舌足らずな感じもするし、サポーターである事の嬉しさ辛さもいまひとつ伝わってこなかったのは残念。)
こんなことを言うのも、“東京ファン”の不祥事が相次いで起きている今、サポーターとは何なのかを考えるにはいい機会だと思うからだ。ファンの大半は、彼ら(不祥事を起こした犯人)の行為に批判的で(そもそも犯罪だから仕方ないが)、他の東京ファンもそのようなレッテルを貼られるのでやめてくれと言うのが基本的な論調になっている。統制された集団なら何とでもなるが、直接的にはまったく関係のない人間の行動が自分の身に降りかかってくる不条理。さすがにこれは頭にくる。しかし、止めようがないのも事実。
では、いったいまともなファンはどうすればいいのか。「俺は違う」ととりあえず言ってみる。でもそう叫んでみたところで、世間は聴く耳を持たない。「俺は違う」のではなく、「いろいろいる」事を知ってもらうことのほうが大事なのだ。そして、彼らはなぜそのような行動を取るのか、そこを明らかにしていかなければ、いつまでたっても理解は得られない。
もともとやんちゃしたい気持ちはどんな子供にもくすぶっている。それが現実の行動に移されるには何らかのきっかけが必要で、そのトリガーが東京というフットボールチームになってしまっていることは悲しい事だ。で、くどいようだけれど、最近の事件を起こしているのはみんな“お子様”なのだ(年齢はどうだか知らないが)。だから、しつけが必要だし、どこかで成長するための猶予も必要だ。悪いことは悪いと教えてやらにゃいかん。で、誰が教えるか。みんなで教えるんだ。機会があるたびに、現場でもネットでも、どこでも誰でもできる。東京と言うチームを愛してさえいればね。その個々人の行動がチームを助けることにもなる。
この本の中にも、ヒントになるような良い事はいくつも書いてある。サポーターとしてのマナーと言うか規範と言うか、あるいは東京のサポーターの特質とか、どうあるべきか自分たちで考えるヒントがね。すべては、“自分にとって東京というチームは一体何なのか”を考えるところから始まるといっていい。だから「俺の東京」なんだと思う。

IM000024トーキョー ワッショイ! ~FC東京 99-04 REPLAY~/
著者 後藤 勝(ごとう・まさる)

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